ふりーだむ。

心の整理整頓のために書いてます。

去年、母が死んだ。⑦

 

普通に仕事が出来て日常生活を送れている事が

立ち直ったという定義になるのならば

私は「立ち直った」という事になるのだろう。

 

けど、だからといって

辛くないとか、寂しくないとか、悲しくないとか

そういうわけじゃない。

 

周りに涙は一切見せていなくても

いつもと変わらない笑顔であっても

なんなら前よりも仕事は頑張れていたとしても

今でも毎晩思い出している。

 

この気持ちは、他人のどんな不幸と比べても

楽になるわけではない。

もっと辛い人はいるだろうし

親が死ぬことは当たり前なんだけど

それをどんなに自分に言い聞かせても

私のこの辛さには関係ないみたい。

 

周りの友達で、大切な人を喪った人はまだ誰もいないから

同じ温度で話せる人はいない。

みんなまだ、死なないと思ってる。

死なんて、ずっとずっと先の事だと思ってる。

 

 

去年、母が死んだ。⑥

兄が膀胱がんで41歳で亡くなって、母はすい臓がんで73歳で亡くなった。

 

いや、なんかほら、バッチリ癌家系っぽいから

とりあえず、ずっと行ってなかった健康診断に行ったよね。

バリウムと、意味ないけど腫瘍マーカーってやつとかやった。

婦人科系も診てもらった。ついでに歯医者も行った。

 

歯は虫歯あったけど、その他は全部異常なかったから良かった。

まあ、健康診断なんてね、アテにならんけど。

母親は毎年健康診断受けてたし。兄も受けてた。

けどあれだね、簡易的なのじゃ早期発見は出来ないし。

 

あれだよ、だからさ、

すごい死を意識するようになった。

今もうそれこそコロナもあるけど

いつか死ぬんじゃない

明日死ぬかもしれない

そんな事ばかり、頭の片隅にある。

 

あと何年生きられるんだろう。

こんな無駄に30代を過ごしてていいのかな?とか

もっとやれること、できることがあるんじゃないか?とか

健康のために運動もしなきゃ!とかね

 

けどダメだなあ

なんかあまり、続かない。

調子が良い時はエンジンかかって飛ばせるけど

気分が乗らないときは何も出来ねえ。

そりゃ誰でもそうか。

焦らず地道に。かなぁ。

けど、そんな時間は自分には残されているんだろうか?

 

そんな堂々巡りに飽きてきたから、ブログを書いてる次第でありまする。

 

 

 

 

 

 

去年、母が死んだ。⑤

2013年に兄が膀胱がんで亡くなった時は

兄が夢枕に立った。

ぬぼーっと、そこに生きてるがごとく立って私を見下ろしていた。

顔は、だいぶ無表情だった。いつも通りっちゃいつも通りだけど。

 

だから、母親も立つと思ってた。

だってほら、魂レベルで信頼しているし、仲良かったし。

いやけど、全然来ない。

え、嘘、荷物まとめて綺麗サッパリあの世へ旅立ったの?

夢は見るけど、たぶんあれは私の記憶が作り出した母親であって、なんか違う。

兄が夢枕に立ったような、リアル感は全くない。

 

いやしかし、兄と母を亡くして、こんなバカな私でも

やっと死がなんなのか、死ぬとはどういう事なのか、なんか

輪郭くらいは掴めてきた感じがする。

それが死生観を持つという事に繋がるのか?

 

母親を亡くしてからずっと

死の余韻が消えない。

社会復帰は出来ているし、元気に仕事もしているし、遊ぶ時は遊んでいるけど

寝る前にはいつも思い出す。

 

思い出すのは緩和ケア病棟での事が多い。

もうガリガリだった。骸骨みたいだった。

私の新しく買ったパーカーを見て、可愛いねと微笑んだ。

 

最後の見送り方はあれでよかったのか。

2日間寝ずに付き添っていたら

最後の最後はもう早く死んでくれと 早く楽になってくれと思っていた。

死後、こんだけ辛いことをあの時わかっていれば

最後の見送り方をもっともっと丁寧にできたんじゃないか。

まあ母親はそんな事は気にしないだろうけど。

傍に居てくれただけで充分だって、言ってくれるだろうけど。

 

 

 

去年、母が死んだ。④

葬儀が終わってからは、どっと疲れた。

そしたら信じられないくらいの喪失感が、襲ってきた。

もうね、津波。抗えない。息できない。死ぬ。

底が知れねえの。まじで。真っ暗闇で、足が着かない。

予想以上よ、こんな攻撃、聞いてない。

こころ、ぶっ壊れるかと思った。

始めて自分で自分を掴めなかった。

鬱になる人の気持ちが、わかった気がした。

 

だけど

こんな仕打ちありかよって思ってた。

短い間だったけど、看病も頑張った。

取り乱さないように、全て冷静に対処して

病院、葬儀屋、役所への手続き、実家の引き払い

ほぼ全て私一人で引き受けて、冷静に、頑張って乗り越えてきたのに

こんなに辛いのかよ。

 

だってしょうがないじゃん。 

そりゃ親のが先に死ぬよ。

看取れたし、私も精一杯やったし、悔いはないよ。

私の中の半分は納得している。悲しいけど、納得はしているんだ。

なのになんなんだよ。

なんでこんなに苦しめるんだよ。

酷いだろこんなに辛いなんて。

 

こりゃ心の治療をしないと本気でやばいなって思って

喪失に関する本を読んだ。

家族を失ったあなたに っていう、なんかまあそのまんまの本なんだけど

それがすごい役立った。

自分の喪失を客観視して、心の回復の段階を踏んだ。

ガッツリ引きこもって、めちゃくちゃ泣いて、どうにかこうにかしたら

社会復帰できるくらいまでは立ち直った。

3月だった。

 

 

 

 

 

去年、母が死んだ。③

うちは、母子家庭。

兄・兄・私。兄二人とは父親が違う。年も一回り以上離れている。

 

家族4人で暮らしてた頃は、毎年誕生日会とかクリスマスとかやっていた。

 

母親と私は仲が良かった。

私はほとんど、母親には嘘をついた事はない。

信じ切っている。3歳のころから「このお母さんで良かった」と言っていた。

(自分でも言ったのを覚えている)

この世に生まれて、「信じ切れる」という自分以外の人間に出会えてることって

凄くないか?

そんな相手に一生出会えない人だって多くいるだろう。

それが私は運よく、身近な母親という存在だった。魂レベルで信頼している。

そしてそれを34年間裏切ることなく、母は逝った。

 

 

 

去年、母が死んだ。②

当直のどっかの内科の先生が、目をこすりながら病室に来て

死んだのを判断して、死亡診断書を書いてくれた。

その後は看護師が、体拭いたり、薄化粧してくれたり

葬儀屋に引き渡す前のケアをしてくれた。

 

葬儀で棺桶の中の母は、めちゃくちゃ微笑みながら寝ていた。

ずいぶん綺麗にしてくれたなと思った。すごいよ納棺師。おくりびと

しかし、死んだ直後の顔を知っているから、めちゃくちゃ違和感があった。

アロンアルファで口とか閉じたんかなってくらい。笑

棺桶の中の母と写真を撮った。もちろん笑顔でピースで。

 

棺桶の中に、兄妹3人分のへその緒も一緒に入れた。

あと、2013年に亡くなった兄の遺品も入れた。

へその緒が入った小さい箱が3つ

母の顔の横に並んだときは、私の語彙力では表せ切れない

切ないような 千切れるような 何かが込み上げてきた。

 

 

去年、母が死んだ。①

2020年11月、母が死んだ。

すい臓がんだった。

10月初めまで仕事に行けるくらい元気だった。

思い返せば7月くらいから少しづつ調子は悪かったのかもしれない。

だけど夏バテだと思ってた。9月からお腹が張ると言っていた。

キャベジンとか飲んでたけど、全く良くならない。

そりゃそうだ。

その時にはもう腹水が溜まっていたのだから。

 

10月半ば、母は病院に行った。医者から言われたのは

すい臓がんステージ4。

抗がん剤で治る確率40%。手術は出来ない場所らしい。

母は抗がん剤治療はしなかった。もう悔いはないからって。

そしたら命は、もって年内だと。

 

それからはもうジェットコースターのように体調が悪くなった。

腹水の水も2回抜いた。抜いたけど、楽にならない。

すぐに何も食べれなくなった。水も飲めなくなった。

脱水症状でふらつくようになった。歩けなくなった。

あっという間に緩和ケア病棟に入院した。

麻薬でだいぶ楽になったと言っていた。

お風呂に入れてもらえて極楽だったと言っていた。

 

看護師から病室の外に呼ばれて

あと2・3日で亡くなる感じのことを言われた。

母に、あと少しらしいよって伝えたら

「イエーイ」って言って両手上げてた。

悔いはないからって言ってた。

いやいや、死への向き合い方、凄すぎる。

 

それから3日後かな、明け方、息を引き取った。

亡くなる数時間前は、うーうーって大きな声で唸ってた。

呼吸の仕方?なんか苦しいわけではないみたい。

それが結構キツかった。深夜だったし。寝ずに付き添ってたから割と地獄だった。

けどそれが治まったら、今度は虫の息くらい静かになった。

目も、もう見えてなかった。声は聞こえているようだった。

虫の息で目は開いたまま、数時間後、母は死んだ。